БЧК(BChK=ベーチェーカー)
反革命・サボタージュ取締り全ロシア非常委員会。
1917年創設。チェキストの語源となった組織。以降、ソ連の秘密警察職員はすべてチェキストと呼ばれるようになる。
フェリクス・ジェルジンスキー(1917〜1922)
 
ГПУ(GPU=ゲーペーウー)
国家政治局。
1922年、БЧКが改称。
フェリクス・ジェルジンスキー(1922〜1924)
 
ОГПУ(OGPU=オーゲーペーウー)
合同国家政治局(あるいは国家政治総局)。
1924年、各共和国のГПУを統括する上部組織として発足。
フェリクス・ジェルジンスキー(1924〜1926)  
ヴャチェスラフ・メンジンスキー(1926〜1934)
 
НКВД(NKVD=エヌカーヴェーデー)
内務人民委員部。
1934年創設。大粛清を実行し、スターリン体制を支えた。
ゲンリフ・ヤーゴダ(1934〜1936)  
ニコライ・エジョフ(1936〜1938)  
ラブレンチー・ベリア(1938〜1946)
 
ГУГВ(GUGV=ゲーウーゲーヴェー)
国家保安総局。
1934年、ОГПУを改称。同年創設されたНКВДの組織に組み込まれる。  
※下部組織なので歴代長官はНКВДに準ずる。
 
НКГБ(NKGB=エヌカーゲーベー)
国家保安人民委員部。
1941年2月、ГУГВがНКВДからの独立したことに伴い改称。しかし大祖国戦争の激化によって同年7月、НКВДに再統合される。1943年4月、再発足。以後、1946年までソ連には二つの似通った保安機関が併存することになる。これはベリヤとメルクーロフの政治的対立の結果とも言える。
フセヴォロド・メルクーロフ(1941〜1946)
 
МГБ(MGB=エムゲーベー)
国家保安省。
1946年、НКГБが改称。今度はНКВДがМГБに吸収される形で統合。
ヴィクトル・アバクーモフ(1946〜1951)  
セミョーン・イグナチェフ(1951〜1953)
 
МВД(MVD=エムヴェーデー)
内務省。

1953年3月、МГБと統合。 МВДは警察組織のМилиция(ミリツィヤ)として革命当時からあり、ソ連崩壊からロシア連邦に至る現在も存続。

 
КГБ(KGB=カーゲーベー)
国家保安委員会。
1954年3月、МГБの組織が再びМВДから独立し発足。1991年、ソ連消滅にともない解体。CIS共和国保安庁、中央情報庁、国境警備委員会に分割され消滅した。
イワン・セーロフ(1954〜1958)  
アレクサンドル・シェレーピン (1958〜1961)  
ウラジーミル・セミチャストヌイ(1961〜1967)  
ユーリー・アンドロポフ(1967〜1982)  
ヴィタリー・フェドルチューク(1982)※六ヶ月のみ在任。  
ヴィクトル・チェブリコフ(1982〜1988)  
ウラジーミル・クリュチコフ(1988〜1991)  
ワジム・バカチン (〜1991年)
 
■指導者たちのその後

フェリクス・ジェルジンスキー(1926年変死)  

ヴャチェスラフ・メンジンスキー(1934年変死)
 
ゲンリフ・ヤーゴダ(1936年銃殺)
 
ニコライ・エジョフ(1938年銃殺)  

ラブレンチー・ベリア(1953年銃殺)  

フセヴォロド・メルクーロフ(1953年銃殺)  

ヴィクトル・アバクーモフ(1954年銃殺)  

セミョーン・イグナチェフ(1953年左遷更迭。1983年死去)  

イワン・セーロフ(1958〜1963年までGRU総局長。その後、解任降格。1990年死去)  

アレクサンドル・シェレーピン (1975年左遷更迭。1994年死去)  

ウラジーミル・セミチャストヌイ(2001年死去)  

ユーリー・アンドロポフ(1982〜1984までソ連書記長。1984年死去)  

ヴィタリー・フェドルチューク(現在も年金生活?)  

ヴィクトル・チェブリコフ(1999年死去)  

ウラジーミル・クリュチコフ(1991年逮捕。後に恩赦により釈放。現在、年金生活)  

ワジム・バカチン (1991年КГБ解体にともない退任。現在も政治活動中)

 

■ソ連の保安機関の変遷と指導者たち■
・ロシア語略称、英文表記、発音、日本語訳、コメント、歴代指導者(在任期間)